太宰治は境界性人格障害なのか
明治の終わりに生まれ、昭和の第二次世界大戦終了後にその短い人生を自ら終わらせた、あまりにも有名な作家『太宰治』。
38年という短い人生の中で度々自殺を繰り返し、5回目の入水自殺でその生涯を閉じます。
遺体が見つかったのは、太宰治38歳のちょうど誕生日でした。
青森県の裕福な名家に生まれた太宰の生涯は、文筆と女性と不満や怒りと共に何とも言い難い喪失感があったように思われます。
太宰治の幼少期の家族愛とは?
11人兄弟の10番目に生まれた太宰は、地元の名士であった父は仕事で多忙で、母は病弱であった為に、乳母によって育てられます。
幼い頃から兄弟は多く、使用人も多く居たにも関わらず、家族愛や親子の愛情らしきものを感じることなく成長していきます。
幼少期の太宰には親のネグレスト、虐待、使用人からの性的虐待があったという話もあります。
学校では成績優秀の首席で卒業するなど、父親の望む優秀な子として成長していきます。
家族とは何なのかという違和感は、この頃から持っていたようで、家族そろっての3度の食事が最も苦痛であったと言います。
団らんもなく会話もなく、常に同じ食事を義務のように下を向いて口に入れるだけの行為に何の意味があるのかと悩んでいたのです。
この頃の生活や虐待の影は、本人は表だって語っていないものの、生涯を通して太宰の生き方に大きく影響していきます。
挫折と自殺未遂、自己嫌悪と反発
太宰治の短い生涯に残した多くの傑作は、今も多くの読者と太宰治信者を生みだしています。
ドラマチックな生涯に惹かれるのかもしれませんが、生きていた日々の危うさや危険な色気と「死」と「生」の境目を生きていた証拠とも言える、作品が太宰治そのものであると惹かれるのかも知れません。
何人もの女性と関係を持ち愛情に飢え、常に何かにしがみついていないと不安定な精神を保てなくなってしまう。
服薬自殺、入水自殺、薬物中毒、アルコール中毒、左翼運動への傾倒と破滅的な毎日を送りながらも、書いた小説では評価されたい気持ちを持ち続けていました。
芥川賞候補から外れると、激怒し反論しています。
自分の恵まれた境遇(実家からの仕送りで生活している)にも嫌悪し、その反動で左翼運動にのめり込んでいきます。
大学も辞め、就職も失敗すると自殺未遂。
思い通りに行かなければ自分の存在価値が認められないのでしょう。
愛人山崎富栄と入水自殺で生涯を閉じた太宰治の人生は、まさに「境界性人格障害」と診断されるに値する生き方であったかもしれません。
『人間失格』『斜陽』などと遺作『グッド・バイ』とでは全く異なる作風だと言われます。
作家として飛びぬけた才能を持ちながら、金銭的に裕福であっても心は満たされず、愛情に飢えた幼い頃の精神的不幸が、
「境界性人格障害」であろうと思われる症状を抱えて、太宰治を死に急がせたのだと考えるのです。
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