【境界性人格障害の体験談】感情の氾濫、そしてピュアな子供
プロフィール: 麻衣さん、24歳女性、フリーター
境界性人格障害(以下ボーダーとする)、私はこの変な病と命を削って日々戦っている。
ボーダーと宣告されたのは20歳の時。10代からの自傷行為や希死念慮、睡眠障害などに悩まされ、とうとう、こんな病名がついてしまった。
一概にボーダーといっても軽度から重度の方まで幅広くいらっしゃると思うが、私は軽度だった。「軽度」と言っても日々生活していく中で様々な困難がある。
他人事のように書いてしまうが、良くネットとかの情報に記載されている、
「感情のコントロールが出来ない」という症状で人間関係がボロボロになる。
私の場合は、当時お付き合いをしていた彼氏に、ちょっとした気に障ることを言われただけで、パニックをおこしたり、自傷をして、さらに怒りがどうしても収まらない時は暴力もふるっていた。そしてそのボーダーの攻撃に真っ向からぶち当たっていた彼氏は鬱病になってしまった。
これは、私の人生の中で最も大きな罪だと、「今は」心から実感し反省している。
これはボーダーに限られたことではないと思うが、自傷行為のせいで、沢山の会社を退職しざるおえない状況になった。
外では普通に頑張れるし、人の気持ちも考えられ、明るく、仕事で少し嫌な事があっても、職場では病気を隠し通せて、成績もそこそこに働けたが、自傷痕が見つかってしまい、それから会社の人の目が気になるようになってしまい、働くことが困難になってしまった。
そのようなことが何度もあった。
ボーダーだから困る事は正直あまりない。
何故なら人と深く関わりを持たないようにすれば良いだけだからだ。
彼氏や病気の相談を出来るような友人は依存対象になってしまうから、本当に多大なる迷惑がかかる。その人の人生を狂わせてしまうほどの。
ボーダーと診断されて早4年も経つ。
沢山の精神科に行き、自殺未遂をする度入退院を繰り返し、カウンセリングを受け、ありとあらゆる薬を飲んだ。が、
改善にはあまり効果がなかったと思う。
薬で身体は重くなり、重力にどんどん負け寝たきりになるが、「なんとかしなきゃ・・」という焦燥感に苛まれていた。
4年間沢山色々なことがあったが、一番の改善方法になるのは、やっぱり
「周囲の理解」それしかないと思う。
私は、母が頑張って理解をしてくれたおかげで随分と感情のコントロールが出来るようになった。薬ばかりに頼らず、どうしてもという時だけ頓服として飲んだり、漢方を飲んだり、そうしていくうちに、徐々に今の状態までに落ち着いていった。
そんな私が思う、ボーダーの人は、
「子供の頃、満足に受けれなかった母からの愛情を求めて彷徨う子供」
なんだと思う。
とんでもない虚無感をボーダーはいつも抱えている。
「寂しい、私を愛して、じゃないと死ぬから」
「愛してくれるっていったよね、なのになんでそんなひどい事言うの?いいよもう死ぬから!」
本当であれば、母親から「無償の愛」をたっぷり受けなければいけなかったのに、大人になってから無償の愛を得ることは不可能だと思う、だからそこで矛盾が生れて、
子供が母を求めて泣き叫ぶように、大人のボーダーは自傷したり、嘘をついたりするのだ。
ボーダーの人へ
死ぬほど辛いのは良く分かる。
睡眠薬で眠れるなら飲んだ方が良い。
自傷も、人を傷つけないためにするなら良い。
どん底で、不安、焦燥感、鉛みたいな孤独、
もし、本当にこんなとこから早く出たいと思うなら、自分と向き合って、親と闘って、
そして許す事。
あなたは、小さい頃寂しい思いをしてボーダーになってしまったんだ。
だから今、自分が苦しむのはナンセンスだと思う事。
そして自分を許す事。
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